井上靖 原作 「オリーブ地帯」12
直ぐ電話は通じた。
「藤川京子さんは、まだ泊まっていますか」
訊いて見ると、
「おつなぎしましょうか?」
フロントの女性の声だった。
椎葉は、まだ藤川京子が泊まっていることを知って、ホッとした。やがて、京子の若々しい声が響いて来た。
「どなたでしょうか」
「僕です、椎葉了介です」
「あ!」
軽い短い叫びがはっきりと聞こえた。
「いけませんな、あんなものを寄越しては」
「でも、気持ちだけなんです」
「高いでしょう」
「ええ思ったよりも。・・・でも、きれいでしょう」
「きれいなことは判っています。併し、ああいうものを買うのを無駄遣いというのです。僕があんなものを貰ったって、なんにもなりはしませんよ」
「でも、お机の上に飾られるでしょう」
「飾れば飾れますがね」
椎葉は一度彼女に仕事場というものを見学させる必要があると思った。花瓶に入れて机の上に置いたら、一時間もしないうちに、入替わり立代りやってくる記者たちに依ってちぎられてしまうだろう。ちぎれないまでも、外套か何かがばっさりと置かれて、その拍子に過敏がひっくり返ってしまうことだけは確かである。
「いつ帰るんです?」
「帰りませんの」
その口調には、決意のようなある強さが感じられた。
「帰らないでどうする?」
「どうにかします」
「厄介だな」
全く厄介だと椎葉は思った。
「もうお金幾らも残ってないでしょう。あんな物を買ったりするから」
「ええ、でも、まだ」
「ホテル代を忘れてはいけませんよ」
「どうにかなりますわ」
「なるもんですか」
そう言ってから、
「どうしても帰らんと言うのなら、鎌倉に私の親戚があります。そこへでも泊まることですな」
「でも、知らない方の家など」
お母さんに叱られますわ、とでも言いたそうな口振りだった。
「だって仕方ないじゃあないですか」
椎葉は、昨夜食事の時感じたような腹立たしさが、この時もまたこみ上げて来るのを感じた。
「手紙を書いて新聞社の受付へおきますから、それを持って、鎌倉へいらっしゃい」
「でも、嫌ですわ」
「嫌なら嫌でいい。僕はもう知りませんよ。何も貴女の世話を誰からも頼まれたわけではないから」
それに対して直ぐ返事はなかったが、暫くしてから、
「そのお宅へ行って、どうするんです」
「二、三日泊まっているうちに、考えるんですな」
「考えることありませんわ。昨夜よく考えたんですもの」
「まだ考えることは幾らでもありますよ。じゃあ、電話を切ります。僕も忙しいんだから、貴女などにいつまでもかかわってはいられない」
そう言って、椎葉はガチャンと受話器を置いた。
莫迦にしていると思った。併し考えてみると、世話をやいているのは自分の方である。自分の方ではあるが、世話をやかせるようなものを彼女が持っていることは否めない。ほっておけないようなものがある!
「藤川京子さんは、まだ泊まっていますか」
訊いて見ると、
「おつなぎしましょうか?」
フロントの女性の声だった。
椎葉は、まだ藤川京子が泊まっていることを知って、ホッとした。やがて、京子の若々しい声が響いて来た。
「どなたでしょうか」
「僕です、椎葉了介です」
「あ!」
軽い短い叫びがはっきりと聞こえた。
「いけませんな、あんなものを寄越しては」
「でも、気持ちだけなんです」
「高いでしょう」
「ええ思ったよりも。・・・でも、きれいでしょう」
「きれいなことは判っています。併し、ああいうものを買うのを無駄遣いというのです。僕があんなものを貰ったって、なんにもなりはしませんよ」
「でも、お机の上に飾られるでしょう」
「飾れば飾れますがね」
椎葉は一度彼女に仕事場というものを見学させる必要があると思った。花瓶に入れて机の上に置いたら、一時間もしないうちに、入替わり立代りやってくる記者たちに依ってちぎられてしまうだろう。ちぎれないまでも、外套か何かがばっさりと置かれて、その拍子に過敏がひっくり返ってしまうことだけは確かである。
「いつ帰るんです?」
「帰りませんの」
その口調には、決意のようなある強さが感じられた。
「帰らないでどうする?」
「どうにかします」
「厄介だな」
全く厄介だと椎葉は思った。
「もうお金幾らも残ってないでしょう。あんな物を買ったりするから」
「ええ、でも、まだ」
「ホテル代を忘れてはいけませんよ」
「どうにかなりますわ」
「なるもんですか」
そう言ってから、
「どうしても帰らんと言うのなら、鎌倉に私の親戚があります。そこへでも泊まることですな」
「でも、知らない方の家など」
お母さんに叱られますわ、とでも言いたそうな口振りだった。
「だって仕方ないじゃあないですか」
椎葉は、昨夜食事の時感じたような腹立たしさが、この時もまたこみ上げて来るのを感じた。
「手紙を書いて新聞社の受付へおきますから、それを持って、鎌倉へいらっしゃい」
「でも、嫌ですわ」
「嫌なら嫌でいい。僕はもう知りませんよ。何も貴女の世話を誰からも頼まれたわけではないから」
それに対して直ぐ返事はなかったが、暫くしてから、
「そのお宅へ行って、どうするんです」
「二、三日泊まっているうちに、考えるんですな」
「考えることありませんわ。昨夜よく考えたんですもの」
「まだ考えることは幾らでもありますよ。じゃあ、電話を切ります。僕も忙しいんだから、貴女などにいつまでもかかわってはいられない」
そう言って、椎葉はガチャンと受話器を置いた。
莫迦にしていると思った。併し考えてみると、世話をやいているのは自分の方である。自分の方ではあるが、世話をやかせるようなものを彼女が持っていることは否めない。ほっておけないようなものがある!
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